« やまとじハリウッド号 | メイン | 日本の主張の概略 »

教団の組織化・国家統制時代

教祖死亡後は、教祖の生前中からの側近であり、本席に定められた飯降伊蔵と後に初代真柱となる中山眞之亮が教団運営の中心となった。

教祖が生存中、神道の一派として「神道天理教会」として公認されたが、教団としては独立が悲願であった。1900年(明治33年)8月から明治政府の意向に配慮した「明治教典」等の編纂を行うなど各方面で努力をした結果、1908年(明治41年)に別派として独立[6]。しかしながら、その悲願であった別派への独立を果たした後も、結果的には国家的弾圧は完全な収まりを見せず[7]、日中戦争勃発後は、遂に内務省や文部省宗教局の指示により教団運営に関して様々な制限、改変が加えられた。主なものに、三原典の内「おふでさき」と「おさしづ」の使用を禁止(各教会から回収)し、天理教教典(明治36年編集の明治教典)のみを教義とする事や「みかぐらうた」から「よろづよ八首」、「三下り目」、「五下り目」を削除する事。泥海古記に関する教説配布の禁止。全国各教会を通しての鉄材、金物の供出協力。天理教輸送部への満州、南方作戦の軍事物資と軍隊の輸送協力等が指示された。 教団側はこれらの内、特にみかぐらうたの改変や泥海古記の禁止等に難色を示したが、これより前に宗教界では大本事件に対する危機感から主立った宗教は諸手を上げて国家へ協力さぜるを得ない空気が流れ込んでおり、天理教でも二代真柱の中山正善が諭達第7号、第8号を相次いで公布、全教一丸となって軍部、国家へと協力するようにという指示が出された。
おでんに日本酒
ガール!
キララ光次郎
ゴッドファーザーの息子
ジェットコースター
スポーツライターを追跡
ちびまる子ちゃん
ナデシコの情報処理
はなさかじいさん
ひまな午後
ベニハヤトの雑記帳
まりりんの春休み
やまのいもの雑記帳
ロングスカート
一花の自然観察
黄泉の国
花咲く里
関東生活設計ハンター
泣き虫モンチッチ
啓太に四苦八苦

諭達第8号公布後の12月16日、教団では13名の委員からなる「革新委員会」が設置され、二代真柱列席の元に於いて内務省と文部省宗教局より指示された事項に全て従うという決定が為された。この決断を天理教内では「革新」と呼称している。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.reclig.info/blog/mt-tb.cgi/1340

About

2009年11月29日 23:28に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「 やまとじハリウッド号」です。

次の投稿は「日本の主張の概略」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35