日本で「中国」という用語が「中国」という主権国家を指す意味で使用され始めたのは、中華民国政府の要求で外交文書の中に登場した1930年からであり、一般的にも使用されるようになったのは第二次世界大戦後のことである。それ以前の時代にこの意味で用いられていた用語は支那もしくは清国であり、さらに古くは唐(漢)(から)、唐土(漢土)(もろこし)などと呼んでいた。当時は「中国」といえば「なかつくに」と読み、これは日本自身に対する美称であった[1]。
日本ではまた山陽地方と山陰地方を合わせた地域を中国あるいは中国地方と称する。この呼称は延喜式において令制国を「近国」「中国」「遠国」の3種類に区分したことに由来し、南北朝時代以降に見られる
「セーレス」 [編集]
古代ギリシアでは、中国の商人は「セール」(σηρ)(複数形:「セーレス」(σηρεσ, Seres))と呼ばれた。これは彼らがもたらした絹(絲)の読みに由来するとされる。古代ギリシアでは絹は「セーリコン」(σηρικον)と呼ばれ、英語やロシア語などで「絹」を表す言葉の由来ともなっている。その後、後述する「チーナ」に由来する「スィーン」が伝わるとその系統の呼称に取って代わられた。
「秦」に由来する呼称 [編集]
漢字圏以外からは、古くは秦に由来すると考えられるチーナ、シーナという呼称が一般的に用いられ、古代インドではチーナスタンとも呼んだ。これが仏典において漢訳され、「支那」「震旦」などの漢字をあてられる。この系統の呼称はインドを通じて中東に伝わってアラビア語などの中東の言語ではスィーン (Sīn) となり、ヨーロッパではギリシャ語・ラテン語ではシナエ (Sinae) に変化する。また、更に後にはインドの言葉から直接ヨーロッパの言葉に取り入れられ、China(英語)、Chine(フランス語)などの呼称に変化した。日本でも「秦」に由来して、江戸時代初期より「支那」の呼称も使用されていた。
「漢」に由来する呼称 [編集]
最初の統一王朝ながら短命に終わった秦王朝に代わって400年間に渡って中国を支配した漢王朝(前漢と後漢)の時代に、漢民族を中心とする中国の版図は定着していった。そのため、「漢民族」や「漢字」のような言葉に漢の字が使われている。また、日本では「から」の音を「漢」の字にあてる例もある。
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「拓跋」に由来する呼称 [編集]
7世紀末から8世紀初頭の突厥(第二突厥帝国)の人々が残した古テュルク文字の碑文において中国の人々を指して使われている呼称に「タブガチュ(タブガチ、Tabgach、Tabγač)」があり、北中国に北魏を建てた鮮卑の拓跋部、拓跋氏に由来すると考えられている(白鳥庫吉やポール・ペリオらの説。桑原隲蔵は唐家子に由来するとの説、つまり唐由来説を唱えた)。
タブガチュの系統の呼称は、1069年のクタドグ・ビリク (en:Kutadgu Bilig) におけるタフカチやTamghaj、Tomghaj、Toughajなど突厥以後も中央アジアで広く使われた。1220年-1224年に西方を旅した丘長春(長春真人)は「桃花石」と記録している。11世紀-12世紀のカラハン朝においては数人の可汗がTabghach (Tavghach) という名である (en:Qarakhanid dynasty) 。しかしモンゴル帝国の時代前後に後述するキタイに取って代わられた。
なお古テュルク文字碑文以前、東ローマ帝国の歴史家テオフィラクトス・シモカッタ (en:Theophylact Simocatta) の7世紀前半に書かれたとみられる突厥による柔然滅亡(552年)関連の記事にタウガス (Taugas) との記載があり、これも同系統の呼称と思われる。記事が書かれた時期は隋末-唐初期と思われ、柔然の滅亡は西魏から北周、東魏から北斉への禅譲と同時期となる。