日本の主張の概略
『三国史記』には于山国である鬱陵島のことは書かれているが、周囲の島のことは全く書かれていない。「別名を于山島という」とあるので、鬱陵島の別名が于山島であった可能性が高い。そればかりか、鬱陵島が512年に朝鮮によって侵略されていたことがわかる。
1431年に朝鮮で編纂された『太宗実録』の太宗十七年(1417年)の項に于山島という名が初めて表れている。そこには「安撫使の金麟雨が于山島から還ったとき、大きな竹や水牛皮、芋などを持ち帰り、3人の住民を連れて来た。そして、その島には15戸の家があり男女併せて86人の住民がいる」と記している。しかし実際の竹島は険しい岩山で、人や水牛はおろか竹や芋なども育つ環境ではない。したがって、于山島は現在の竹島ではない。
1530年に朝鮮で発行された『八道総図』に初めて于山島が描かれるが、鬱陵島の西に鬱陵島と同程度の大きさで描かれている。その後の地図も実在しない大きさや位置に描かれ朝鮮政府は于山島を全く把握していない。18世紀後半以降の古地図の于山島は、全て鬱陵島近傍の竹嶼に比定できる。したがって、于山島は現在の竹島ではない。
ガール!
キララ光次郎
ゴッドファーザーの息子
ジェットコースター
スポーツライターを追跡
ちびまる子ちゃん
ナデシコの情報処理
はなさかじいさん
ひまな午後
ベニハヤトの雑記帳
まりりんの春休み
やまのいもの雑記帳
ロングスカート
一花の自然観察
黄泉の国
花咲く里
関東生活設計ハンター
泣き虫モンチッチ
啓太に四苦八苦
香虹の日記
1618年には徳川幕府によって竹島(鬱陵島)渡海免許が大谷・村川両家に下されている。松島(現在の竹島)は漁労や鬱陵島への中継地として利用していた。それ以前に朝鮮人がこの島を利用していたことを示す資料は存在しない。
『隠州視聴合記』の文中には「北西に二日一夜行くと松島(現在の竹島)がある。又一日程で竹島(鬱陵島)がある。俗に磯竹島と言って竹・魚・アシカが多い。この二島は無人の地である。」としており、現在の竹島もはっきり認識している。鬱陵島へは、この文献の50年も前から幕府の許可を得て伯耆国 米子から漁労や竹の伐採などのために渡っており、文中の「この州」とは鬱陵島のことを指している。
朝鮮の漁夫である安龍福は鬱陵島や日本に密航した犯罪人である。